「親なきあと」問題の歴史①~問題の質の変化

今回からしばらくは、近年の「親なきあと」問題の経緯を、法制度の変化に沿ってみていきます。過去を知ることにより、現状についての理解もしやすくなると思います。
知的障害者の「親なきあと」をどうするかというテーマは、1952年の「精神薄弱児対策基本要綱」、および1960年の「精神薄弱者福祉法」制定の頃から徐々に表に出てきました。ではそれ以前は問題がなかったのかというと、もちろんまったくそうではありません。
知的障害者のことは、家族にすべての負担を負わせ、家の単位の中で解決せざるを得ない状況がずっと長く続いてきました。そのため、親の間では囁かれてきた問題でしたが、なかなか外には見えてこないところがありました。
しかし、 1960年代からの入所施設の誕生により、親がいなくなったあとも本人が生活できる場ができました。さらに1981年の「国際障害者年」と、それに続く「国連障害者の10年」という流れにより、いま日本の福祉全体が施設福祉から地域福祉へと大きく方向転換しつつあります。
以前は、面倒をみる家族がいなくなってしまった障害者は、施設に入っていくことしか選択肢はほぼありませんでした。しかし、国は2002年から、障害者を入所施設や病院に閉じ込めるのではなく、本人の意向を尊重し、好きな場所で自由に暮らせる生活を目指す、ノーマライゼーションの考え方に従った方針を打ち出しました。入所施設の新設をおさえて、グループホ―ムやケアホームが、地域の中で安心して暮らすための住まいとして重要になってきました。そのような流れの中で、「親なきあと」の問題は家族だけで解決するのではなく、地域、そして行政として取り組んでいくべきテーマになってきました。
とは言え、理想はそうなのですが、現実的にグループホ―ムやケアホームの建設は実態に追いついていません。となると、今まで良し悪しは別にして最後の砦だった施設が少なくなり、入所が難しくなり、面倒をみてくれる家族がいなくなった障害者の行き場が失われてしまっているのです。このように、「親なきあと」問題の性質が変わってきたのです。