「親なきあと」問題の歴史⑩~コロニーの解体、縮小化の動き

さてコロニーの件に戻ります。
2004年、宮城県の浅野史郎知事(当時)が、「みやぎ知的障害者施設解体宣言」を発表しました。
これは、宮城県内すべての入所施設を解体して入居者を地域に移行させるというもので、2002年に県立船形コロニーの入居者全員(485人)を、2010年を目標に地域に移行させ施設を解体するという県福祉事業団の宣言を、さらに県全体に広げたものです。
その後、船形コロニーについては浅野知事の後任の村井知事により、期限にはこだわらないという考え方が示されたり、親の会による解体宣言の見直しの要望書が提出されたりと、地域移行の難しさが改めて浮き彫りになりました。
しかし、コロニーの解体、定員減などによる縮小化は進んでいます。この動き自体は、知的障害者を終生隔離した場所で生活させるという、ノーマライゼーションに反した思想から、地域の中で当たり前の生活を送るという方向転換だとすれば、正しい道だと思います。
しかし残念ながら、その地域で生活するためのグループホームの建設が遅々として進んでいません。(前出のとおり、障害者プランの目標値はクリアしたことになっていますが)結局のところ、いまだに入所施設は親の有力な選択肢です。
さらに言うと、障害のタイプによっては、グループホームで自由な時間を過ごすよりも、きっちり時間が決まった入所施設の方が、うちの子どもには向いているという親もいらっしゃいます。
現在の入所施設は以前と違い職員の方々が入所者の希望を取り入れて、より生活しやすい環境を整備されていると聞いています。その親御さんのお子さんに対する判断もおそらく正しいのでしょう。しかし、他に選びようがないからそう思い込んでしまっているという側面もあるのではないでしょうか。一番問題なのは、やはり選択肢がないことだと考えます。